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たまに本とかトホホな日常について
アメリカン・スナイパー ネタバレ編
この記事はタイトル通り完全にネタバレです。取扱いにご注意ください。



ざっくり言うと、お父さんに「番犬になれ」(弱い者を守る男になれ)と言われながら育ったテキサス男クリス・カイルが、厳しい訓練に耐えネイビーシール隊員の狙撃手になって、イラクに派遣され一緒に戦う兵士たちからは英雄と言われるようになったけど、実は本人PTSDのために心がボロボロで、除隊した後、退役軍人をサポートするボランティアをしてようやく元の普通の生活に戻れそうになった矢先、話を聞いてあげようとした元海兵隊員に射殺されて亡くなったという…もう因果応報というしかないような…

え?!なんでなんで?
クリス・カイルと元海兵隊員の間に何があったの?
なんでそんな死に方をしなきゃいけなかったの?
(最後の葬儀のシーンは、クリス・カイルの実際の葬儀の映像なんだって…)
イーストウッド監督、この映画で何を言いたかったんだろうって。

映画見終わってからずっと考えてた。
で、今のところ、こんな一生を過ごした男がいたんだが、君はどう思う?って突きつけてきてるんだと。
あんまりストレートなもんだからよくわかんなかった最初。
考えたって答えなんかでないんだけどね、こんなの。でもたぶんそれでいいんだよね。考え続けることが大事で、考えてるうちは戦争なんか行きたくないし、夫や子供を戦場に送ろうなんて思わないだろうから。

この映画、見たら本当に冷える。怖いよ。
家庭では妻を愛し、子供にも優しいお父さんなのに、戦場に出れば女子供も容赦なく射殺する冷徹な狙撃手が1人の男の中に同居してるのもそうだし。ネイビーシール隊員といえば、米海軍の中でもエリート中のエリート軍人なわけで、人間として最もタフな部類の人たちと言えるわな。しかもクリス・カイルの場合、子供の頃から弱い者を守れと言われながら育って、イラクで人間を射殺するのにあまりためらいもなかったっぽい。しかし戦争は、そんな強い男すらも確実に壊すものなんだ。
っていうのを、イーストウッドはいつものように淡々としたタッチで描いているので、余計に迫ってくるんだよね。
あっさりしてるからわかりにくいが、やっぱり傑作かも。

アメリカじゃ、「クリス・カイルは国を守るために戦った英雄だ!」という右系の人たちと、「これはイラク映画を美化するプロパガンダ映画だ!スナイパーなんて英雄じゃない、卑怯者だ!」という左系の人たちと真っ二つに分かれて社会的な論争になったらしい。でもそんなの映画とはほとんど関係ない。だって、見ればわかるけど、この映画、奇跡的ともいえるほど中立だもん。銃と暴力、戦争の恐ろしさを淡々と、かつ克明に描いているけど、だからと言って純粋に愛国的な理由で参戦した男を否定するわけでもない。つまり右対左の論争は映画にかこつけて言いたいこと言ってるだけなんだよな。
結局大変な思いするのは現場の兵士ばっかでさ。なんでこんなことになっちゃったんだろ?本当に悪いのは誰だ?って思わなきゃおかしいじゃん!

ちょっと前に佐藤優の「世界史の極意」って本読んだんだけど、その中に、1941年に始まった戦争の時代は今なお続いていて、世界大戦はまだ終わっていない、って書かれてる。その通りだと思った。池上彰との共著「新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方」と合わせてもう一度読み返すか。

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